リバーフェニックスとアラフィフ世代
35年の付き合い──集まったおじさん6人
地元の本厚木で久々に中学校時代の同級生と飲みに行った
彼らとはテニス部時代の仲間なのだが、全員50歳をそろそろ迎える
何年も会っていない時もあったが、なんだかんだで35年以上の付き合いである!
テニス部といってもゴムボール仕様の軟式で、
当時は男女も分かれていた、
よって、集まったのはおじさん6人だ
毎年夏になると──『スタンド・バイ・ミー』が観たくなる
スタンド・バイ・ミーと夏の記憶

当時、夏が来ると部活終わりに川に泳ぎに行ったり、時には無計画にやれキャンプだ野宿だと青い思い出を紡いでいた記憶がある
もちろん気分は、線路づたいに人の終焉を探しに行った、いつかのスクリーン内の少年達だ
まあ映画『スタンド・バイ・ミー』のようなアメリカンなお洒落さとはかけ離れていたが、私にとって当時の冒険譚は何にも変え難い宝物である
そして私は毎年夏になると、名画『スタンド・バイ・ミー』が必ず観たくなる
先日もまた観たいなと思っていた矢先に、
ちょうど同窓会の話が浮上したのである。
最高のお洒落〜アメリカンカルチャーに憧れて
『スタンド・バイ・ミー』で圧倒的な存在感を放っていたのはリバー・フェニックスだろう
アラフィフ世代にとって、若かりし頃のリバー・フェニックスといえば、
我々の親世代でいうジェームス・ディーンのような感じだろうか、
ちょうど中学生頃に、『インディジョーンズ 最後の聖戦』や、『マイプライベート アイダホ』あたりが話題になった気がする
また当時の私の格好といえば、
リーバイスのデニムに、白いTシャツ、足元は黒いコンバースのハイカットだ
要するに、映画の中のリバー・フェニックスの衣装のまんまである…
服装だけならまだしも、首元には細工した1セント硬貨までぶら下げていた…
脳内ドップリ米国文化、リバーになりきっていたし、それが最高のお洒落だと思っていた。

アメリカンなバー発見!気分は映画俳優
一人「マッカーサーギャレッジ」のドアを潜る
さてひとしきり、白髪が、ハゲが、悪玉コレステロールが、
と、中年会話オンパレードな同級生達との宴も終わり、
近場のサウナに行き、そのまま車中泊する予定だったが、
ふと目の前に、ネオンが煌々と煌めく酒場?BAR?が視界に飛び込んできた!
厚木では有名なアメリカンダイナー「マッカーサーギャレッジ」である
私は厚木出身なのだが、訪れたことはなかった。
何しろ今宵の気分はアメリカンカルチャーなのである、
ここはひとつ、今夜集まった皆に「楽しかった!また会おう」といったお決まりなメッセージを送る際のネタの確保として、
さらにメッセージにお洒落感をアピールするために、
気づいたら一人でBARのドアを潜っていた

厚木名物の1947年式キャデラック

店内には、マッカーサー元帥とその夫人が自宅で使用していたらしいその車が飾られていた。
さらにアメリカンな雰囲気の小物やポスターが所狭しと並び、否が応でも気分は上がる。
しかも客は私ひとり。まるで映画の中のワンシーンに放り込まれたようだった。
50才手前のおっさんはすっかり俳優気取りで、挙句の果てには普段吸わないくせに「煙草売ってる?」なんて台詞をウェイトレスの女の子に投げてみたりする始末…。
そんなふうにグラスを傾けていると、ふと頭に浮かんできたのはリバー・フェニックスのことだ。
確かジョニー・デップが経営していたハリウッドのクラブの前で倒れ、そのまま帰らぬ人になったはず。
享年23歳。
今も尚、惹かれているから
自分が23歳になった時、「リバーの年になっちゃったんだ」と妙に感慨深く思った記憶がある。
そして気づけば今は50手前。当時と比べてすっかり大人になったつもりでいたけれど、よく考えれば結局あの頃のまま憧れを追いかけている自分がいる。
同級生と集まれば「健康診断の数値が…」なんて中年らしい会話をするくせに、
心の中ではまだ映画の中の少年たち。
そして今夜のように、アメリカンダイナーのドアをひとりで開けてみたりする。
──要は、何も変わっていないのかもしれない。
でも、変わらないこと自体が、案外悪くないような気がしている。

本ブログ――noa-mellowlife-poetry では、「ゆるやかな日常、時に非日常」を、なるべく詩的に!綴っていきたいと思っております。
懐かしい記憶や、アラフィフ世代特有の悩みを、
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誰かの心の片隅にやさしく響けばうれしいです。
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