投稿者:望亜(ノア) | カテゴリ:ライフスタイル / 健康と趣味
50歳へと近づくと、老いはある日突然にやってくる。白髪、薄毛、シミ、肩こり、腰痛──笑っていられるうちはまだいい。でも先日、久々にゴルフの練習に行ったら、左の股関節から背中に突き抜けるような激痛が走った。
そう、特級クラスのぎっくり腰である。
50歳目前、体が教えてくれる“老いの実感”
年齢を重ねていくと、「外見の変化」や「身体の機能の変化」は他人事ではなくなる。
髪の伸びる速度や肌のシミ、朝の全身のこわばり・・・
人はしばしば「50歳を過ぎれば迷わなくなる」と言うけれど、自分の場合はむしろ体の不調に振り回されて迷い続けている。
久々の打ちっぱなしで“特級クラス”のぎっくり腰

久しぶりにクラブを握った。最初の数球は気持ちよく飛んだのだが・・・
10数球目でに左股関節から背中に突き抜けるような鋭い痛みが走った。そそくさと切り上げたが、その後、車に乗るのも一苦労、、何とか自宅マンションまでたどり着いたものの、車から降りた瞬間膝から崩れ落ちる始末。
エントランスまで這うように帰った。
その夜は文字どおり動けなかった。
寝たきりの日々と、動画漬けの“快楽”
鍼灸院で鍼を打ってもらっても劇的な改善はなく、数日はほぼ寝たきり。だが不思議なことに、何もしない時間が意外と悪くない。スマホを手に動画を流し、ただぼんやりと過ごす甘美な時間に、心は少しだけ解放される。
とはいえ、それは身体をだんだんと衰えさせる罠でもあるのか?!
アラフィフ仲間と笑い合う“劣化トーク”
同世代の友人と会えば、真っ先に飛び交うのは「白髪」「薄毛」「シミ」「贅肉」といった話題だ。互いの劣化を笑い飛ばすのは、自己防衛でもある。冗談めかして罵り合いながら、どこかで「まだ笑えてるうちは大丈夫」と安堵する自分たちがいる。
サーフィンとゴルフ、そして“老化のジレンマ”

私にとってサーフィンは週に一度の至福の時間だ。うねりの上に立つその瞬間は、年齢も仕事も何もかもが遠ざかる。
ゴルフは職場の付き合いで最近始めた。世代のせいか、私はゴルフというものにあまり良いイメージを持っていなかったが、めっきり歳を取った父親を外に連れ出す良い口実になるかとも思い、
結果、私もどハマりした。
だが、無理をすればサーフィンもゴルフも、どちらもままならなくなるだろう。
無理してスイングすれば腰が悲鳴を上げ、サーフィンを暫く諦める羽目になる──この矛盾が、ミドルエイジのジレンマだ。
自分を“だます”小さなコツ
寝たきりダラダラの時間を経て分かったことがある。ミドルエイジには、ストイックな克服よりも「うまく自分をだます工夫」が必要だ。今日できることにフォーカスし、完璧を求めない。たとえば、
- 「今日は海には入らないけれど、パドルだけで体を慣らす」
- 「短い散歩を2回に分けて歩数を稼ぐ」
- 「スクワットは回数よりも習慣化」
そんな小さな“ごまかし”が、長期的には続ける力になる。
生活を少しだけ変える具体案(3つ)
- 毎日の“歩く時間”を意図的に増やす:車移動が多ければ、帰りに1駅分歩くなど小さく始める。
- 筋力は“継続”重視:重いウェイトで追い込むより、短時間でも毎日行うルーティンを作る(お風呂に入る時、真っ先に30回スクワットするなど)
- 回復を優先する:ストレッチ、充分な睡眠、栄養補給(タンパク質、水、ビタミン、カルシウム)を日々の習慣に。
おわりに──この先も、メローに付き合っていこう
痛みを抱えながらでも、好きなことを続けたい。焦らず、競わず、うまくごまかしながら。人生の後半戦は、「ちょっと笑える痛み」と「ゆるやかな諦め」の中にこそ、味わいがあるのかもしれない。
—— 望亜(ノア)
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