「50歳、不惑と呼ばれる年に──本当に迷わなくなるのか?」

リード文(冒頭)

50歳を迎え、「不惑」という言葉が少し重く響くようになった。
だが実際の私は、いまだに迷ってばかりだ。サーフィンの波を前にしたときのように、立ち向かうか、それともスルーするか。
不惑とは「迷いがなくなる」ことではなく、「迷いごと楽しめる」ことなのかもしれない。
そんな50歳の現在地を、今日は少し綴ってみたい。

迷いまくる波選び── アラフィフの岸辺で考えること

静かな朝の海
朝の光に、今日の波を探す。

10月末。
しつこい腰痛がなかなか抜けず、ブログの更新も滞りがち。
よろしくない、、

少し良くなると、どうしても海に行きたくなり、
その翌日には腰に張りが出てしまう。
その繰り返しだ。


サーフィンは魅惑的で不思議なスポーツだと思う。
これほど中毒性のあるアクティビティは、他にそう多くないだろう。

なにしろ、同じ環境での「繰り返しのライド」があり得ない。
同じボードスポーツでも、スノーボードやスケートボードとは根本的に違う。
その日、その瞬間の海と風、潮の流れ。すべてが一度きり。

環境に左右されるということは、習熟度が本当にゆっくりだ。
経験年数に比例しない。

海の近くに住み、毎日入れる人を除けば、
通いのビジターサーファーは10年以上やっていても、万年初級者の方が多いのではないだろうか。
私も間違いなくその一人だ。

それでも、だからこそハマるし、中毒性が高いのだと思う。
思うように乗れない、うまくいかない。
それなのにまた海へ向かう。

波があろうがなかろうが、
暑かろうが寒かろうが、
海に入れないとソワソワしてしまう。


今の自分は、波のサイズに合わせてポイントを選ぶようになった。
若い頃は自分の技量も省みず、ただ突っ込んでいた。
いまはむしろ、混雑しない時間帯を選び、ストレスを減らすことを優先している。

それでもときどき、
「波でかい!混んでる!沖に出るのもしんどそう…」
そんな状況に直面してしまう。

波間の景色
思い通りにいかない日ほど、また海に行きたくなる。

2025年10月末 noa

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